#八月の光 (上) (下)1932
#フォークナー
#諏訪部浩一 訳
#岩波文庫
『アブサロム‥』同様ミシシッピ州の架空の都市ヨクナパトーファ郡ジェファソンが舞台。『アブサロム‥』と違い普通の文体で読みやすい。決して読み流せるような作品ではない。21章どの章も濃密で深淵な表現で悲喜劇が展開する。意味深で何かのメタファーなのではと思われる箇所もたくさんある。
時は1932年なのだが「南部」では苛烈な黒人差別が続いていることが読み取れる。単なる「人種差別」ではなくて「奴隷」として黒人を家畜のように扱っていたのが「南部」の黒人差別だ。
自分を棄てた男を追って身重の身体で徒歩でアラバマからミシシッピまでやってきリーナ、信頼を失い排斥されたハイタワー牧師、そして黒人の血が混ざっていることで苦しむ孤児クリスマス、3人の物語が交錯する。
■上巻
第1章:
自分を棄てた男ルーカス・バーチを追ってリーナは臨月に近い身体で徒歩でアラバマからミシシッピのにたどり着く。
第2章:
リーナが、バーチを知らないか尋ねた職工バイロン・バンチは製板小屋で新参者ジョー・クリスマスとジョー・ブラウン(バーチ)が働いていることを話す。2人はミス・バーデンの地所の黒人小屋に住んでいた。
ミス・バーデンは北部から移住してきたよそ者一族の中年女性で、奴隷解放派である兄と祖父は元奴隷所有者によって殺されていた。
リーナは、ブラウンがバーチではないかと期待する。バイロンは、リーナに好意を持つ。
第3章:
ハイタワー牧師について語られる。
ハイタワーは説教壇で神や信仰について説くこともせずいつも南北戦争で活躍した祖父について語っていたので町の者は教会を訪れなくなってしまう。さらにその妻は不倫相手と泊まっていたメンフィスのホテルから転落死した。
長老たちはハイタワーに辞任を迫ったが彼はしなかった。
第4章:
ミス・バーデンの屋敷が火事になり、炎の中からミス・バーデンの首を引きちぎられた遺体が見つかる。ブラウンとクリスマス両者が放火殺人の容疑者となり、ブラウンは保安官にクリスマスが犯人で黒人との混血だと保安官に告げた。
第5章:
ブラウンとクリスマスが寝ている。ブラウン、クリスマスが黒人であることをバカにする。
2年前からクリスマスはミス・バーデンと付き合っている。
クリスマスは女(ミス・バーデン)の嘘や欺瞞を許せないと感じる。女がクリスマスのことを祈り出したのが我慢ならなかった。
8月の星空の下、ナイフを持ち女の元に向かった。
第6章:
クリスマスの生い立ちが語られる。
クリスマスは孤児院で育つ。
そこで5歳の時、栄養士の女性と若い医師の情事を目撃してしまうのだが、幼いクリスマスにその意味などわからないし、まして告げ口などする訳もない。ところが、栄養士はいつ暴露されるか恐怖のどん底に突き落とされ、半狂乱になる。彼女にとっては恋人より5歳児のほうがはるかに重大な存在となる。
(この恐怖が増幅していくアイロニカルなエピソードはポーの短編小説にありそう。)
栄養士は、クリスマスが他の子どもたちから「黒ん坊」と呼ばれており、白人に見えるが黒人ではないか、と告げ口し、彼は孤児院を追い出される。
第7章:
(このエピソードも短編のようだ)
クリスマスは信心深く厳格なマッケカーン夫妻に引き取られる。マッケカーンは何かというと鞭で彼に体罰を加えた。
彼が14歳くらいになると、少年たちが彼に黒人女をあてがおうと手筈を整えたが彼は女を蹴りとばす。そして彼らに殴りかかる。少年たちは反射的に応戦するが、クリスマスもこの衝動的な行動を説明できない。
マッケカーンの妻は親切で世話をやきたがったが、クリスマスは「男たちの過酷で無情な公正さよりも」女の「やわらかい親切」を憎んだ。
第8章:
17歳のクリスマスとウエイトレスの恋愛、初体験が描かれる。
クリスマスはウエイトレスと関係をもつが、彼女には別の男がいた。クリスマスは泣きながら彼女を殴る。
第9章:
クリスマスは養父マッケカーンを椅子で殴り倒す。
第11章:
ミス・バーデンの血統が語られる。
カルヴィン・バーデンはナサニエル・バリントンと言う牧師の息子だった。12歳で家出、10年後結婚。息子が生まれた。息子が5歳の時バーデンは奴隷制をめぐる議論から1人の男を殺した。この頃妻はもう死んでいて息子ナサニエルのほかに娘が3人いた。息子ナサニエルは14歳で家出、メキシコ人を殺した。16年後、母エヴァンジェリンとよく似た妻フアナと息子カルヴィンを連れて帰る。
ミス・バーデンすなわち最後のカルヴィンの14歳年下の異母妹はクリスマスに語る。最後のカルヴィンは20歳の頃サートリス(フォークナーは『サートリス』という小説も著している)に殺された。
■下巻
登場人物はいずれも実在するかのように特徴的な個性が明瞭に描かれている。
例えばジョー・クリスマスの祖父(白人)は、暴力的な狂気の人だ。クリスマスは、黒人の血よりこの祖父の血をたっぷり受け継いでいるに違いない。そもそもクリスマスに黒人の血が流れているというのもこの祖父の思い込みらしい。
黒人との混血であるとカミングアウトしているクリスマスは、黒人差別のある「南部」においては、周囲に対する怒り、反抗といったネガティブ感情が生きる原動力となり、暴力、殺人といったネガティブな行動に及んでしまう。
15年にもわたりクリスマスはあちこち転々とし一時期「北部」にいたのだが、白人の娼婦に、自分は黒人だと告白すると、「それがどうしたのさ?」と言われてショックを受けしばらく落ち込み、結局「南部」に戻ってくる。
33歳で南部に帰ってくるとヨクナパトーファ郡ジェファソンのミス・バーデンの地所に住み、ブラウン(リーナを棄てたルーカス・バーチ)と一緒に製板工場を隠れ蓑に酒の密売をしていたジョー・クリスマスは彼女と関係を持つようになる。
ミス・バーデンは北部から移住してきた奴隷解放派一族の末裔の中年女性で、奴隷解放派である兄と祖父は元奴隷所有者によって殺されていた。
ミス・バーデンは、クリスマスに黒人として黒人への伝導の仕事をさせようとする。
これをきいたクリスマスは怒り驚く。ミス・バーデンは2発の弾丸を装填した銃で彼を殺し自分も死のうとするが‥
ミス・バーデンの屋敷が火事になり、炎の中から彼女の首が引きちぎられた遺体が見つかり、犯人として疑われたブラウンは、クリスマスこそ犯人だと保安官に告げる。
■考察と感想
▶︎クリスマスにとってのアイデンティティ
小説の主題の1つは「アイデンティティ」(特に人種的なアイデンティティとその喪失)と思われる。アイデンティティとして人種に重きをおく「南部」にクリスマスが結局戻っていくのは何故か。
「もし俺に黒ん坊の血が混じってねえとすれば、えらく無駄な時間を過ごしてきたことになるな」(第11章)という言葉が思い浮かぶ。
彼のアイデンティティ-存在証明は、人種がどうこうというよりそれに抗ってきた過去の時間ということになりはしないか。アイデンティティとは人種であれ家系であれ国家であれ故郷であれ組織であれ過去の時間であれ随分と人を呪縛するものではないか。
クリスマスは逃亡中に一瞬「大地」に「平和とゆったりした心と静けさ」を感じるが、結局は街路という「円環」の内側をぐるぐる回っているだけでその呪縛から解放されることはない。
そしてクリスマスだけでなく、ミス・バーデン、ハイタワー牧師それぞれが家系ー父祖の呪縛を受けていた。
▶︎ヨハネによる福音書第19章に相当する第19章〜『燃えあがる緑の木』
脱走したクリスマスはジェファソン出身の若い大尉に追い詰められ銃殺され去勢される。「そして尻や腰のあたりの切り裂かれた服の中から閉じ込められていた黒い血が、吐き出される息のごとく、ものすごい勢いで流れ出すように見えた。」
新約聖書では、ひとりの兵卒がやりで磔刑で死んだイエスのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た、と伝える。
大江健三郎の『燃えあがる緑の木』でギー兄さんがリンチされ殺された場面が思い出される。大江健三郎はフォークナーの影響を受けたとされている。『八月の光』では白人でありながら黒人というアンヴィヴァレンスを描かれているが、『燃えあがる‥』も両性具有のサッチャンに象徴されるように矛盾に満ちた人間が描かれている。
▶︎「大地」を「移動する」リーナ
最後の第21章はリーナはハイタワー牧師に取り上げてもらい産まれた赤ん坊とバイロンとともに行く先も定めないヒッチハイクの旅をしている。
「人間って、ほんとうに動くものなのねえ。(2か月でアラバマからテネシーまで来てしまった)」
という言葉で終わる。
この台詞は第一章で臨月の身体で徒歩でアラバマからミシシッピにたどり着いた時の台詞と同じだ。
「円環」とは対照的に「大地」を「動く、移動する」という観念は未来への希望を抱合する。
しかし、リーナの言葉に一瞬ほっとしたものの、光を感じつつも結局影にとらわれてしまったクリスマスの「円環」に私は立ち戻ってしまっている。
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