猫の本棚名作紹介ブログ

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シーシュポスの神話① カミュの『不条理』とは

カミュの『不条理』とは

翻訳者である清水徹氏の付記によれば、

 


 基本的には、形容詞 absurde を「不条理な」、名刺 l’absurde を「不条理」と訳している。


 普通のフランス語としては、absurde とは「なんとも筋道の通らない」「意味をなさない」「荒唐無稽な」という意味で、つまり、論理や常識を破っているばかりか、それ自体として矛盾しているためとても考えられないような状態や行為に対して言われる言葉である。

 たとえていえば、水に濡れないつもりで川の中に飛びこむーこれが absurde な行為なのだ。

 だから、この一部の表題 raisonnement absurde にしても「不条理な論証」と訳したが「理屈にならない理屈」「なんとも筋道の通らない論証」というような意味になるだろう。


 ところでカミュは、この l’absurde を特別な使い方をして、「この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態」を「不条理」という。不条理はこうした対立関係のことだと説明している。とすれば、こうした定義不可能なものーなぜなら定義するとは理性の領域内での仕事であり、「不条理」は理性の外にある一関係なのだからーを出発点として、そこから出てくる帰結をさぐる、それは通常の論理の手続きを超えており、当然「理屈にならない理屈」「論理的論証とはならないが、それでもあろうとする「論証」の形をとるだろう。

「不条理な論証」raisonnement absurde の意味をここまでひろげても間違いではあるまい。


おそらくカミュは「不条理な」という言葉に独特な力と重さを加えてかれの基本概念としている。

 だから読者はこの言葉に対し、もともとの意味に加え「≪不条理な≫状態にある」あるいは「≪不条理な≫状態にある人間から発した」という意味で読んでいただきたい。

とのことです。

不条理に明確な定義は、少なくともカミュの文学上は困難ということでしょうか‥必要性もないのでは?小説の中に「不条理」という言葉はいらないですし。

 

不条理というと凄くむずかしく感じるので、わたしは頭の中で、自分がよく用いる「理不尽」に置き換えています。「荒唐無稽な」というニュアンスには欠けますが‥‥

どうしても不条理と言われても、何もイメージが湧かないのです。

 

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