猫の本棚名作紹介ブログ

古今東西の名作を日々の雑感もまじえ紹介します。読書で人生を豊かに。

カラマーゾフの兄弟(中)

#カラマーゾフの兄弟(中)

#ドストエフスキー

#原卓也

#新潮文庫

 

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世界最高の文学と言われる本書。

推理小説であり、宗教哲学書であり、恋愛小説であり、悲劇であり、喜劇であり、詩であり、そのテーマは愛、生き方、神と人間、信仰、家族、いじめ、児童虐待、愛憎・嫉妬を生む人間関係、身分の違い等々、およそ人間の抱える問題のすべてを含んでいるのではないだろうか。

 


中巻は感動と驚愕の展開です。

・     ・     ・     ・     ・

●イワンのイライラ

カテリーナに失恋した二男のイワンは、モスクワ行きを決め、その前にいったん家に戻る途中、なぜか憂鬱な気分におそわれる。家に着くと召使いのスメルジャコフが原因と気づく。

スメルジャコフは長男ドミートリイ(ミーチャ)と父親フョードル双方に頼まれ、2人を惑わせているグルーシェニカを監視している。スメルジャコフはグルーシェニカが訪れた際のフョードルへの窓をノックする合図をドミートリイに迫られ教えてしまったと言う。スメルジャコフは癲癇持ちで、癲癇発作が3日も続くことがあると言う。イワンはスメルジャコフと話しているうちにイライラが増大し、ついに怒りが爆発する。

🐾

知的でクールなイワンの怒りがエスカレートしていく描写が見事🐾

 


●ゾシマ長老の死

ゾシマ長老は永眠する前に、修道僧になった経緯や法話を語る。

 


心が洗われるような言葉があった。

「すべては絶えず流れながら触れ合って世界の他の端までひびくような大洋にひとしい。それを知ってこそ、小鳥たちに祈るようになるだろうし、歓喜に包まれたかのごとく、完璧な愛に苦悩しながら、小鳥たちが罪を許してくれるよう、祈ることができるだろう。」

「わが友よ、神に楽しさを乞うがよい。幼な子のように、空の小鳥のように、心を明るく持つことだ。そうすれば、仕事に励む心を他人の罪が乱すこともあるまい。」

 


「大地にひれ伏し、大地に接吻することを愛するがよい。あらゆる人を愛し、あらゆるものを愛し、喜びと熱狂を求めるが良い。喜びの涙で大地を濡らし、自分のその涙を愛することだ。その熱狂を恥じずに、尊ぶがよい。」

 


アリョーシャは長老の葬儀中、白昼夢でイエスの姿を見た。アリョーシャは夢から覚め、教会の外に出た。彼は泣きながら、嗚咽しながら、涙を降り注ぎながら、大地に接吻し、大地を愛することを、永遠に愛することを狂ったように誓い続けた。

 


「大地にひれふした彼はか弱い青年であったが、立ち上がったときには、一生変わらぬ堅固な闘士になっていた。」

 


●グルーシェニカとミーチャ

ミーチャはストーカーのようにグルーシェニカをつけ狙っていた。別れた夫とよりを戻したグルーシェニカがパーティをしているところに乗り込むとカードゲームで元夫がインチキをしているのをミーチャが見破る。グルーシェニカは元夫に愛想を尽かしミーチャを愛するようになる。

🐾

この後は怒涛の展開。

フョードルが何者かに殺され、ミーチャが容疑者となる。

 

 

 

#ロシア文学 

#長編小説

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#本のある暮らし

#本すたぐらむ

#bookstagram

金閣寺

新型コロナ感染拡大で、戦々恐々とする日々が続いています。私は新型コロナワクチン(ファイザー製)を接種しましたが、デルタ株に対する効き目は50%くらいということなので、引き続きかなり用心して生活しています。一年以上公共交通機関を利用していないかもしれません。毎年人間ドックや検診を受けていますが、それも先延ばしにしています。

 

ブログには久しぶりの投稿ですが、読書自体は続けており、Instagram に投稿していました。

 

今日ご紹介する本は今年5月上旬に読んだ『金閣寺』です。

それにしても、「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない、行為なんだ」とは名言ですなぁ。

 

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#金閣寺

#三島由紀夫

#新潮文庫

 


実際の事件を題材にとり、描かれた小説。

 


理解しにくい人物の、犯行に至る背景、心理、思想が一人称で豊穣な言葉で語られる。

 


共感はできないが、丹念に描かれているので、主人公の犯行に至った動機、屈折した想念は理解はできた。

 


*     *     *    *    *

▶︎美から疎外された「私」の心象の金閣に対する偏愛

「私」は京都府舞鶴の成生岬の寺の息子として生まれた。父はよく金閣寺のことを語った。

「父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、また金閣と言うその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は途方もないものであった。」

 


「私」は生来の吃りで容貌も醜かった。

私という存在は、美から疎外されたものなのだった。

 


中学校の春休みに、父が金閣寺に連れていってくれることになった。金閣寺は想像していたほど美しくなかったので少年は落胆した。

 


父親は友人である金閣寺の住職に息子の将来を託し、岬の寺に戻るとまもなく大量喀血しこの世を去った。

 


「私」は金閣寺の徒弟になりこう呟くのだった。

『私の心象の金閣よりも、本物の方がはっきり美しく見えるようにしてくれ。またもし、あなたが地上で比べるものがないほど美しいなら、なぜそれほど美しいのか、なぜ美しくあらねばならないのかを語ってくれ』

 


「私」は同じ徒弟の鶴川という少年と親しくなった。東京近郊の裕福な寺の少年で容姿も性格も申し分ない少年だった。

 


直感で、この少年は金閣を愛さないだろうと、「私」は思う。自分の金閣への偏執は自分の醜さのせいにしていたからだった。

 


「私」は鶴川少年に父を失った感情をうまく説明できず、もどかしい思いだった。感情にも吃音があり、いつも間に合わないのだ。

 


空襲で、この美しいものが遠からず灰になるのだ、と思うと現実の金閣は現象界のはかなさの象徴に化し、心象の金閣寺に劣らず美しいものになった。

 


父の一周忌に母親が金閣寺を訪れ、岬の寺を処分した、先はもうおまえは金閣寺の住職になるしかない、と言う。「私」は驚いた。もともと母親は不倫したことがあり、「私」は嫌悪している。

 


▶︎孤独と女性関係の挫折

戦争も終わり、「私」は鶴川とともに大谷大学に進学する。鶴川の友人が増えていくのに対し、「私」は孤立を深めていく、そんな中、柏木という強度の内飜足の学生と話しをするようになる。彼は鶴川と対照的な性悪で詐術を弄する男だが、「私」は親しみを感じる。

 


柏木に紹介され女を抱くが、金閣寺が現れ失敗する。その日、東京に戻っていた鶴川が事故死したという電報が金閣寺に届く。

 


「私」は、誰ともほとんど口をきかぬ生活をし、鶴川の喪に 1年近くも服していた。

 


「私」は再び柏木と会う。そして柏木が捨てた女を抱こうとするが、再び金閣寺が現れ挫折する。

金閣に向かって、私は呼びかけた。「二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前を我が物にしてやるぞ」

 


▶︎『金閣寺を焼かねばならぬ』

祇園の芸妓と新京極を歩いている金閣寺の老師を目撃してしまった「私」だが無視され、老師の憎悪する顔が見たいという欲求にとらわれる。そして老師を脅すような真似をすると、老師は「もうおまえを後継にするつもりはない。」と明言した。

 


「私」は学校もさぼるようになり、柏木に金を借り出奔する。

 


旅の舞鶴由良川沿いを河口に向かって歩く。そして目の前に裏日本の海が広がった。この海が「私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。」

荒涼とした自然の中、突如ある想念が浮かんできた。

金閣寺を焼かねばならぬ』

 


▶︎なぜ愛する金閣寺を焼くのか?

「私の吃りは私の美の観念から生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった。」

『美は‥‥美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ』

 


世の中の美を破壊しようと思ったら、生きているものは殺しても次々と生まれてくる。国宝の金閣寺を破壊すれば、取り返しのつかない破壊となる。

 


▶︎誤った認識に気づかされても‥

ある日、柏木が「私」の借金を返してもらおうと老師に訴えた。老師から寺を出て行けと言われ、私は決行を急ぐことを決める。

 


「私」は柏木に死ぬ直前に送られてきた鶴川の形見の手紙を見せられた。鶴川は「私」と柏木の交遊を非難しながら、柏木とこれほど密に付き合っていたのだ。手紙の文章は例えようもなく下手だった。読み進むにつれ、「私」は泣いた。そして鶴川の「僕は生まれつき暗い心を持って生まれていた。僕の心は、のびのびとした明るさを、ついぞ知らなかったように思える」という一文は「私」を愕然とさせた。

 


明るく誰からも好かれ、幸福そのものに見えていた鶴川は、そうではなかった。どこにでもある小さな恋愛事件のため自殺したのだった。

 


柏木は、「私」が何事かを企んでいることを察知しこの手紙を見せたのだった。

「それを読んで人生観が変わったかね。計画はみんなご破算かね」

しかし、「私」は世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない、行為なんだ、と答えた。

 


そして「私」はついに犯行に及んだのだった。

 


#日本文学 #長編小説 

#読書ノート #読書記録

#読書好きさんと繋がりたい

カラマーゾフの兄弟(上)五編の4まで

#カラマーゾフの兄弟

#ドストエフスキー

#原卓也

#新潮文庫

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4部(1〜3編、4〜6編、7〜9編、10〜12編)より成る超大作。


2013年に舞台を現代日本に置き換えテレビドラマ化された。夜11時台の番組だったが、超有名な原作の世界を見事に描き評判となった。中でも吉田鋼太郎の舞台俳優らしい大音声の圧倒的な怪演でブレイクした。何と大袈裟な演技、と思っていたが原作を読むとフョードルはそんな人物だ。

 

ロシアの小説は、登場人物の名前で混乱し挫折しやすい。ロシア人の名前は、名・父称・姓の3つの要素から成っている。さらに愛称もあり、小説の途中から突然愛称に変わって、ずっと別の登場人物かと思って読んでいたなんてこともあるので、登場人物名をリストアップしながら読んでいる。

 

第一部

第一編 ある家族の歴史


・フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ 地主横暴で強欲、女好き。妻が死んでも息子を養育せず放置。息子の顔すら覚えていない。(テレビドラマキャスト: 吉田鋼太郎)

・ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ (ミーチャ)長男 28歳 最初の妻の子。(斉藤工)

・イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ 二男。24歳。勉強に対して並外れた才能を示し、プライドが高い。13歳のとき養育してくれたポノレフの家庭を離れモスクワの全寮制学校に入った。(市原隼人)

・アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ (アリョーシャ) 三男 19歳 僧侶となり、ゾシマ長老のもとで修行する。4歳で母に先立たれるが、終生母のことを覚えていた。皆に愛される。(林遣都)

・パーヴェル・フョードロウィチ・スメルジャコフ カラマーゾフ家の召使い兼コック フョードルの私生児と噂される。(松下洸平
・アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソフ フョードルの最初の妻 教師と一緒にぺテスブルグに駆け落ちし突然死んだ。

・グリゴーリイ カラマーゾフ家の忠僕(渡辺憲吉)

・ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ アデライーダの従兄、パリ帰り。4歳のドミートリイの後見人となり引き取るが、再びパリに行ってしまったため、ドミートリイは親戚を転々とする。

・ソフィヤ・イワーノヴナ フョードルの2度目の妻。孤児となりヴォロホフ将軍の未亡人の養女となった。16歳でフョードルに見そめられ嫁ぐ。イワンを結婚後1年目に、アレクセイをその3年後に産む。アレクセイが4歳のとき、亡くなる。2人は父親にすっかり忘れさられ、グリゴーリイのもと、召使小屋に引きとられた。

・ソフィアが死ぬとヴォロホフ将軍の未亡人が乗り込んできて、いきなりフョードルにびんたを二発くらわせ、召使部屋で汚い下着の2人の子どもを見つけグリゴーリイにもびんたし、子どもたちを自分のところに連れ去った。

その後間もなく未亡人はこの世を去ったが、二人の子どもに千ルーブリずつ与えると遺言した。

・エフェム・ペトローウィチ・ポレノフ 将軍夫人の筆頭相続人。夫人の残した千ルーブリずつを子どもたちが成人するまで貯金した。養育を放棄したフョードルに代わって、自分の財産で2人を養育した。


ドミートリイ28歳、イワン24歳、アリョーシャ19歳のとき、家族は初めて全員が一堂に集まった。

 

見習い僧となったアリョーシャは、修道院のゾシマ長老に非常に目をかけられていた。ゾシマ長老は信者たちに慕われていた。信者は顔を拝んだだけで、感涙にむせび平伏すのだった。

 

第二編 場違いな会合

1 修道院に到着

長男ドミートリイと父親フョードルの間の金銭トラブルを話し合うためと次男イワン、ミウーソフ(50歳、フョードル最初の妻の従兄)らが、ゾシマ長老と三男の修行僧アリョーシャのいる教会に集まる。


2 年とった道化

フョードルは挨拶がわりに、くだらない冗談が受けず失敗した話を大声で饒舌に語る。「今もすべっているじゃないか」とつっこむミウーソフ。

誰もが敬虔な気持ちで訪れる教会で、醜態を晒している父親の姿に修行僧アリョーシャは泣き出しそうになる。


フョードルは、「羞恥心ゆえに道化になるんです。」と言うと、ゾシマ長老はこう言った。「あなたにとっていちばん大切なのは自分に嘘をつかないことだ。自分に嘘をつくものは、いかなる真実も見分けがつかなくなり、自分も他人も尊敬できなくなる。愛することもやめ、心を晴らすために情欲にしたがい、ついには畜生道にまで堕ちる。」


3 信者の農婦たち

長老ゾシマは部屋を出て、次から次へと多くの信者の相談に的確な返答をした。


4 信仰のうすい貴婦人

車椅子の娘リーズを連れた貴婦人に、ドミートリイに婚約者カテリーナ・イワーノヴナの手紙を渡すようアリョーシャは頼まれる。リーズはアリョーシャに好意を持っている。


5 アーメン、アーメン

長老が再び部屋に戻ると、イワンが自分の論文について司祭に話していた。あらゆる地上の国家はゆくゆくは全面的に教会に変わるべきだ、という主旨だった。


長老は、犯罪者に教会はどのように対応すべきかを論じた。ロシアの犯罪者は、まだ信仰を持っているから、教会は愛情豊かな母親のように、実際的な懲罰を避けている、と。ローマのように教会が国家になるのではなくて、国家が自らを高めて教会になるのだ、と。


6 こんな男がなぜ生きているんだ!

ドミートリイは大分遅れて到着する。(召使スメルジャコフに約束の時刻を何度も確認したが、間違った時刻を教えられた。伏線?)


ドミートリイはフョードルと口汚い罵り合いになり非難の応酬は金銭問題だけでなく女性問題に及ぶ。ドミートリイは婚約者がいるのに、妖婦グルーシェニカのところに通っているとフョードルが責めれば、その妖婦に自分を誘惑するよう焚きつけたのは父親だと言い返す。怒り狂う2人は、決闘だ!と話合いは紛糾する。


すると、長老がドミートリイの足元に跪き額を床につけ「赦しておあげなさい」と言った。その場の興奮はおさまった。


7 出世主義者の神学生

アリョーシャの友人の神学生ミハイル・ラキーチン(ミーシャ)は、グルーシェニカと関係があるので、カラマーゾフ家の女性関係について知っている。ドミートリイはグルーシェニカと一緒になりたいので、美しい婚約者カテリーナ・イワーノヴナをイワンに譲ろうとしている。父親もグルーシェニカに首ったけで、先程の醜態もそれが原因だという。


第三編 好色な男たち

●スメルジャコフ

フョードル・カラマーゾフの家には当時、母屋にフョードルと息子イワンが、召使い用の離れに老僕のグリゴーリイとその老妻マルファ、とスメルジャコフという若いコック兼召使いが住んでいた。

スメルジャコフは、リザヴェータ・スメルジャーシチャヤという非常に小柄な白痴だけれど性格がよく町の人から好かれていた女が、カラマーゾフ家の庭に産み落としたフョードルの隠し子だった。リザヴェータは出産後、すぐ亡くなった。


●神についてそれぞれの考え

「3熱烈な心の告白ー詩によせて」でドミートリイはこう言っている。「悪魔にのこのこついていくような俺でも、やはり神の子なんだし、神を愛して、それなしにはこの世界が存在も成立もしないような愛を感じているんだよ。」「ソドムの中にこそ美が存在しているんだよ。そこでは悪魔と神が戦い、その戦場がつまり人間の心なのさ。」


アリョーシャが父の家を訪ねると、人嫌いで寡黙な、それでいて人を小馬鹿にした薄笑いを浮かべる召使いのスメルジャコフが珍しく意見をいう。アジア人の捕虜になり改宗を迫られたが兵士が信仰を裏切ることなく死んでいったという話を聞き、仮にそのような災難にあってキリストの名を否定したとしても、苦行のために自分の命を救い、永年善行で償うとしたら、罪にはならない、と。


イワンは神はないし、不死もない、という意見。

アリョーシャはもちろんその反対。


●泥沼の愛憎劇

アリョーシャはドミートリイの「よろしく。もう二度と伺わないから」という伝言をカテリーナの伝える。そこにはグルーシェニカが来ていた。グルーシェンカはカテリーナに、ドミートリイとは結婚しないと言っておきながら、ドミートリイの伝言を聞くと豹変しカテリーナをあざ笑い出て行く。カテリーナも口汚い言葉を吐く。


車椅子のリーズはアリョーシャに愛の告白の手紙をわたす。

 

第ニ部 

第四編 

1 フェラポント神父

ゾシマ長老が『奇蹟』を起こしたという噂はたちまち遠方にまで届いた。昨日、信心深い老女が、一年も音沙汰なしの息子について長老に相談したが、長老の予言どおり息子から連絡があったというものだ。


ゾシマ長老のいる修道院には、長老制度に反対するフェラポント神父がいた。フェラポント神父は天の精霊と交わりがあり、人間とは口をきかないという噂流れていた。

遠いオブドールスクからゾシマ長老の『奇蹟』をきいて、訪れた修道僧は長老よりむしろフェラポント神父に心が傾くのだった。


長老ゾシマとは、アリョーシャに父の言いつけどおり家に戻るよう声をかける。「キリストと同じ姿をもつ人間の心にキリスト教は生き続けている、かりに新たな宗教・思想というようなものを作ろうとしても奇形ばかりができあがる。」というパイーシイ神父の言葉に、アリョーシャは自分を熱愛してくれる新しい指導者を見出した。


2 父のところで 

3 中学生たちとの結びつき

アリョーシャは、父フョードルの元に戻った。父はドミートリイ(ミーチャ)への苛立ちは収まらず敵意に燃えていた。


父のところを出て、ホフラコワ夫人の家に向かう途中、中学生に石を投げられ、中指に噛みつかれた。カラマーゾフだと知っていて石を投げたらしい。


4 ホフラコワ夫人の家で

娘のリーズが愛の告白の手紙を返してほしい、というと、アリョーシャは法に定められた年齢に達したら結婚しようという。


夫人の家には、ドミートリイの婚約者のカテリーナ・イワーノヴナが来ていた。


5 客間での病的な興奮

客間には、兄のイワンも来ていた。イワンはカテリーナを愛している。しかし、カテリーナの本心はどうだろう、アリョーシャはあれこれ考える。カテリーナは最終結論を話す。

「今となっては、ドミートリイを愛しているのかさえわからない。ただ彼を憐れんでいる。今でも愛しているとすれば憎んでいるはずではないか。

イワンは賛成してくれたが、ドミートリイが性悪女のグルーシェンカと結婚しても、一生彼のことを見捨てない。」

「私は彼の神さまになって、彼に祈りを捧げさせる。どうしても最後には私を認めさせる。」


アリョーシャは、「カテリーナは本当はイワンを愛しているが、ドミートリイは病的な興奮で偽りの気持ちで愛している、自分にそう信じこませている」と言った。


イワンは「カテリーナは一度も僕を愛したことはない。僕がこの人を愛しているのは知っていたが、友だちとしても必要としなかった。あなたは、あなたを侮辱する兄を愛している。すべてはあなたのプライドの高さからきている。」

もう戻らないと言い残しモスクワに去っていった。


早速、カテリーナは、ドミートリイの乱暴沙汰の尻拭いをしようと、お見舞い金を相手の二等大尉スネギリョフ(スロヴォエルス)に届けてほしいとアリョーシャに託す。ドミートリイは、衆人環視の中、中学生の息子が赦しを乞い泣き叫ぶ目の前で、往来を引き回したのだった。


6 小屋での病的な興奮

アリョーシャは二等大尉の家に向かう道すがら、「恋の感情について何とばかなことをいったのだろう、自分が恥ずかしいだけならよいが、新しい不幸の原因になってしまった。長老は人々を和解させるために、僕を送り出してくれたのに。」と思っていた。


退役二等大尉の家は小さく貧しかった。

その家には、病気でこけた頬の奥さんアリーナ・ペトローヴナと赤毛の不器量な若い娘ワルワーラ・ニコラーエヴナ、さらにせむしの若い娘ニーナ・ニコラーエヴナ、指を噛んだ息子イリューシャがいた。

アリョーシャは、父親と外に出てお金を渡そうとする。イリューシャはカラマーゾフ家への怒りから学校でも苛つき友だちからイジメにあっている。お金を受けとったということが周囲に知られれば、イリューシャはますますイジメにあうだろう、息子はあいつと決闘してくれ、とまで言っていると。

 

このお金のことは、自分もカテリーナも口外しないからとアリョーシャは父親にお金をわたす。

受けとったもらえたかと思ったが、急に父親はお札をもみくちゃにして地面に叩きつけるのだった。

「自分の名誉を売りはいたしません!一家の恥と引きかえにあなたのお金を受け取ったりしたら、うちの坊主になんと言えばいいのです?」涙にむせぶ早口でこう言い捨てるなり、彼は走り去っていった。


第5編 プロとコントラ*       * 賛否

1 密約

「明日になれば、あの人はこのお金を受け取るんです。あの人は僕の前であまりお金を嬉しがって、それを僕に包み隠さなかったことに腹を立てたんです。『あなたは誇りに満ちた方です、あなたは立派にそれを証明なさったのですから、今度は気持ちよく受け取って、私たちを許してください』こう言えばあの人はきっと受け取りますとも!」

リーズは、アリョーシャが若いのに人の心の動きがわかるのに関心する。


2 ギターを持つスメルジャコフ

アリョーシャは、悲劇の予感がしてドミートリイを探した。

するとギターの伴奏で歌うスメルジャコフの声が聞こえた。


スメルジャコフは家主の娘マリヤ・コンドラーチエヴナに、ドミートリイは品行も頭の程度もすかんぴん振りもどんな下男にも劣るほどなのに、皆から敬われていると、悪口を言っている。


アリョーシャは、イワンとドミートリイが飲み屋で会っているはずだとスメルジャコフから教えられ、飲み屋に急いだ。


3 兄弟、近づきになる

イワンは飲み屋にいたが、ドミートリイはいなかった。

2人は神の存在について論じ合う。


4 反逆 

イワンは動物虐待、幼児虐待の話をした。さらに飼い犬を怪我させた少年を母親の前で素っ裸にされ猟犬に咬み殺させた、この将軍の処分は銃殺にすべきか?と問うと、アリョーシャは思わず、銃殺です!と答えてしまう。お前の中にも悪魔がいる、と喜ぶイワン。なぜ僕を試すのかと問うアリョーシャ。

*     *     *     *     *

「5 大審問官」はメインストーリーに直接関係ないと思われ読み飛ばしてもいいかもしれないが、宗教的観点から読む場合、重要で有名な項なので、今回は読もうと思う。

 


#ロシア文学

#長編小説

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若きウェルテルの悩み

#若きウェルテルの悩み

#ゲーテ

#高橋義孝

#新潮文庫

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自身の絶望的な恋の体験に基づいて執筆されたゲーテ23歳の作品。

 


友人に宛てた書簡の形式をとっている。許婚者のいる美しい女性ロッテに恋をし、遂げられない思いに絶望してついには自殺してしまう。

 


序文にはこう記されている。

「ちょうどウェルテルと同じように胸に悶えを持つやさしい心の人がおられるならば、ウェルテルの悩みを顧みて自らを慰め、そうしてこの小さな書物を心の友とされるがよい、もし運命のめぐり合わせや、あるいは自分の落度から、親しい友を見つけられずにいるのなら。」

 


悩みを抱えた若い人におすすめしたい本だが、当時、ヨーロッパ中でセンセーションを巻き起こし、ウェルテルを真似て自殺するものが多発したという。

 


書簡形式なので、ウェルテルの喜び、憤り、嘆きといった激しく揺れ動く感情が、涙やため息とともに直に自分に語りかけられているように感じられ、同調して後追いしたくなってしまうのだろう。

 


ウェルテルは、許婚者アルベルトの存在に悩み苦しみ、その地を去り、官職につく。

ウェルテルは最後は自殺してしまうが、元々は情熱的で正義感に溢れ、ポジティブ思考の活発な青年だ。

職場の欺瞞や形式主義にがまんならず、異を唱えると、当然軋轢を生む。現代で言えば、モラハラ受けて、退官してしまう。

 


ウェルテルは再びロッテのもとに戻ってくるが、結婚したロッテとアルベルトからは迷惑がられ、ピストル自殺する。

 


ゲーテは多くの名言・格言を残したが、この小説でも名言・格言が散りばめられている。

 


印象的な言葉

「ぼくの心こそはぼくの唯一の誇りなのであって、これこそいっさいの根源、すべての力、すべての幸福、それからすべての悲惨の根源なんだ。ぼくの知っていることなんか、誰にだって知ることのできるものなんだ。ーぼくの心、こいつぼくだけが持っているものなのだ。」

 


「世の中ではあれかこれかで片のつくようなものはそうめったにあるもんじゃないってことだ。ぼくらの気持ちや行動の仕方は実に複雑なのだ。鷲鼻と団子鼻の間に無数の変化があるようにね。」

 


「そういう人間はどんなに浮世の束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好む時に、現世という牢獄を去ることができるという自由感さ。」

 


「ぼくだけがロッテをこんなにも切実に心から愛していて、ロッテ以外のものを何も識らず、理解せず、所有もしていないのに、どうしてぼく以外の人間がロッテを愛しうるか、愛する権利があるか、ぼくには時々これがのみこめなくなる。

 


#名作 #ドイツ文学

#青年 #若者 #悩み #絶望

パルタイ

#パルタイ

#倉橋由美子

#新潮文庫

 

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カフカカミュの影響がみられる処女作品集。

 


▶︎パルタイ  昭和35年1月

 

 

 

革命を目指す「パルタイ」に参加した「わたし」。

 


パルタイはどこかに実在し、奇妙に複雑なメカニズムで動いており、たえずのびちぢみしてはわたしのような個人をのみこみまた吐きだしているにちがいない。しかしその存在は非常に抽象的なものだ。そしてそれがさまざまな≪掟≫と≪秘儀≫の総体からなっていることは、わたしにはある種の宗教団体と同じにみえるほどだ。‥‥」

 


わたしのもとには赤いパルタイ員証が届くが、わたしはパルタイから出る手続きをしようと決意する。

 


*     *     *

パルタイ(パーティ、党)は、ここではかつての日本共産党だが、いつどこにでも、サークルやオウム真理教などの新興宗教といった形でパルタイは実在し、若者はのみこまれていく。

 

 

 

▶︎非人

しっぽのある非人たちの世界の不条理劇。

『異邦人』のような顛末。

 


▶︎貝の中

歯科の女子学生寮の生活を倉橋由美子らしい生々しい身体表現で描く。後半主人公と革命党員の彼との関係が描かれ文体も変わり、愛とか嫉妬という感情に主人公が屈する。

 


▶︎蛇

蛇をのみこんでしまった寮生K。

革命党員Sは、当局の陰謀の犠牲となって蛇にのまれたことにすべきだという。最後、寮生Kの口から蛇が頭を出し、蛇をのみこんでいるKを蛇がのみこむという荒唐無稽な展開に。

 


▶︎密告

上述の作品は、いずれも臭気、排泄物、吐物、分泌物といった描写があるのだが、この短編では僅かにある程度で、珍しく、「美しい」という言葉が出てくる。

 

出家とその弟子

#出家とその弟子 

#倉田百三 1891-1943

岩波文庫 

 


▶︎青年たちの熱狂的な支持を得て、夏目漱石の『こころ』とならび創業まもない岩波書店の大ベストセラーとなった。作者26歳の時の作品。

 

先日インスタにポストした北杜夫の『楡家の人びと』の中で、学業成績今ひとつの長男・欧州が妹・桃子に西田先生の『善の研究』や夏目漱石の(!)『出家とその弟子』を読むべきだと教え、やはり今ひとつな桃子が本屋に行くと、そんな本はないと言われるくだりがあった。

 以前から読みたい本だったのを思い出し、本屋で「倉田百三」の『出家‥‥』を購入した。

 

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▶︎本書の原型のような作者の半生

 


 本題に入る前に少し倉田百三の執筆の背景について紹介しておきたい。(解題:鈴木憲久およびWikipedia より)

 


 倉田百三広島県庄原に生まれた。

 百三が通学のため下宿していた叔母の家は熱心な浄土真宗の信徒だった。百三はその影響を受けて、親鸞の『歎異抄』をよく読んでいた。

 第一高等学校に進み文芸部に所属し、同期には芥川龍之介菊池寛らがいた。在学中、哲学者・西田幾多郎の『善の研究』に感銘を受け、京都に西田を訪ねている。

 ところが、失恋の影響で落第し、さらに肺結核を発症し退学することになる。

 故郷に帰り療養生活中、キリスト教にも興味をもつようになる。

 そして、京都の一燈園という一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体に妹とともに入るが、徹底的な禁欲主義は心の葛藤を引き起こし、労働は身体の負担となり肺結核の悪化により園を出る。

 翌年同棲していた女性が妊娠。

 同じ年、4番目の姉が産後の肥立が悪く亡くなる。同じ月に別の姉も亡くなる。さらに祖母も亡くなる。『出家とその弟子』の執筆に着手し、12月に完成する。

 


 4番目の姉は臨終に際して親族を枕元に集め、別れの言葉と父母への感謝を口にした後、皆に念仏するよう頼み、一同の念仏の声に包まれて静かに息を引き取った。父は泣きながら「お前は見上げたものだ。このような美しい臨終はない」と言ったという。百三もこの死に深く感銘を受けた。

1917年(26歳) このような、いくつかの宗教や哲学への傾倒、肉親の相次ぐ死、自身の生命の危機を背景にこの戯曲は生まれた。息子もこの年に生まれる。

親鸞のモデルは、作者が入園していた一種の宗教的共同体である社会奉仕活動団体『一燈園』の代表指導者、弟子唯円は作者自身だとされる。


▶︎出家とその弟子

恋愛劇であり、思想宗教作品である。

親鸞の弟子唯円と遊女かえでとの恋を中心に

親鸞の教えとその死が描かれる。

 


カミュを読んだばかりなので、その言葉を借りて言えば、登場人物は不条理な立場にいる人ばかりである。この作品の序曲は「死ぬるもの」(モータル、死ぬ運命にあるもの)というタイトルで、人間は「(生き物同士の)共食いをしなくては生きることが出来ず、姦淫しなければ産むことが出来ぬようにつくられている」と述べられている。人間は存在そのものが罪であり死ぬべき運命の存在である、その不条理をどう生きるかがテーマの作品だ。

 


 親鸞は人生の「淋しさ」に対する向き合い方について唯円にこう諭す。

「淋しいときは淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。ただ何事も一すじの心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで、自分の心の願いに忠実に従え。」

 


 登場場面は少ないが重要な人物である親鸞の息子善鸞に興味が湧いた。善鸞は放蕩で素行不良の上、浄土門の信心に反対し親鸞から勘当され、茨城県の稲田にいる。親鸞の教えによれば悪人でも救われるから悪いこともしてやれ、というわけでもなさそうなので弟子たちは理解に苦しんでいる。

 


 そんな善鸞が上洛した折、鴨川に臨む遊女屋に唯円を呼び出す。善鸞もまた淋しくてたまらず、誰も自分の心を理解してくれる人はいないが、唯円は、自分を受け容れてくれるような気がしたからだった。

 善鸞唯円に打ち明ける。

勘当になったのは、人妻と恋をしたからだった。その女は結婚する前から善鸞と恋仲だったのだが、この世の義理が二人を引き裂いたのだった。そして女は間もなく病気になって亡くなるのだった。

 善鸞は、この出来事の責任を誰に負わせるべきなのかがわからない、人生の不調和のせいだと思う、この世界をつくったもの、仏があるならば罪は仏のせいだと思うという。自分は何も信じられなくなり、すっかり汚れてしまったが、このような自分をそのまま助けてくれと願うほどあつかましくはなっていない。それがせめてもの良心だ。むしろ難行苦行をすれば助けてやるといってほしい、と。

 


 唯円はこの席でかえでを知り、恋をするようになるが、相手が遊女ということで、他の弟子たちから非難される。弟子の一人が親鸞唯円を追放するか自分が出ていくか決めてくれ直訴すると、親鸞は双方それぞれを説諭し、唯円の恋は成就する。

 

 

 

 15年ほどの月日が過ぎ親鸞は死を迎えようとしている。

 


 親鸞は臨終になってようやく勘当をとき善鸞がかけつける。

 唯円と結婚し今は勝信となったかえでは、善鸞に、この世を去ろうとしている父親を安心させるために仏を信じていると言うよう頼む。

 

 親鸞には、曼荼羅華がふり、美しく荘厳な浄土が見えてきた。

「お前は仏様を信じるか」「‥‥」「信じるといってくれ。最期に安心を与えてくれ。」「‥‥」

一座緊張する。勝信は蒼白になる。

 自分の気持ちを偽ることのできない善鸞は、苦悶し絶望的に「わかりません‥‥きめられません。」といって救いを拒んだ。

 親鸞は絶望し、一座動揺する。

 しかし、親鸞の表情は次第に穏やかになり、「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ‥‥善い、調和した世界じゃ。」

といって魂は極楽浄土にかえっていった。

 


*     *     *     *

仏を信じないという善鸞との対立を描いたのは、親鸞の思想の限界や、お互いに頑固な父子の姿も見ることができ作品に緊張感と深みを与えており、完全調和でなくてよかったと思う。


 

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シーシュポスの神話④ 不条理な論証 哲学上の自殺

 

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*l’absurd

 

 「不条理」というと難解なので、「理不尽」と直して理解に努めていたが、もっとぴったりな訳が見つかった。「ばかげた」である。これだと荒唐無稽という意味も含んでいる。

 


▶︎実存哲学の考えーシェストフとキルケゴール2人の『飛躍』

 シェストフは実存主義に通じる絶望の哲学を展開した。カミュは彼の「唯一の真の突破口は、まさしく、人間の判断するかぎり突破口など存在しない所にある。そうでなければ、どうしてわれわれは神を必要としよう。ひとが神へと向うのは、ただ、不可能事を獲得したいためにほかならない。可能事についてなら、人間でこと足りる。」という言葉にその哲学が要約されているという。

シェストフは決して「ここに不条理がある」とは言わず、「ここに神がある。たとえ神がわれわれの理性的範疇のいかなるものにも合致しなくても、なお、神に身を委ねるのがいいことなのだ」と語る。

 神の偉大さは、その矛盾にある。神の存在を証明するのは、その非人間性である。神の中へ飛び込み、この飛躍によって理性にもとづく幻から解放されなければならない、ということで、シェストフにとっては、不条理を確認することとは不条理を受け入れることである、とカミュは述べる。

シェストフは不条理を真実、あるいは贖いと呼び不条理に賛意を示しているが、カミュの考えによれば、不条理が存続するためには、不条理に同意しないことが必要である。

 カミュは、シェストフにおける神の身に委ねる飛躍は逃避だとする。不条理はふたつのものの均衡状態においてしか価値を持たないが、シェストフは一方に全部の重みをかけてしまっていると批判する。

 キルケゴールもまた飛躍を行う。彼は反抗の叫びをあげるかわりに、何ものかにすがった。彼は病から癒えることを絶望的な努力をし、これまで自分を照らし導いてきた不条理を無視し、

苦しまぎれに無理な逃げ道を考え出して、非合理的なものを神とするにいたった。

 


 これらの態度を哲学上の自殺と呼ばせていただこう、とカミュは言う。

 

 


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